ニセ夢十夜

形而上メガネは100年先を透視できるか

前夜

はじめまして

 思えば、SNSには縁のない生活を送ってきた。Twitterはたまに見るが、つぶやき方はよく分からない。Facebookは、アカウントをつくったきりそのままだ。Instagramは、写真を楽しむということくらい。別にSNSが嫌いというわけでもなければ、時代についていけないと感傷にひたるわけでもない。ただ、きっかけと動機がなかったのである。

 

 では、今回なぜブログに手を出そうと思ったのか。理由は簡単で、なにか書きたい衝動にかられたからである。本の虫というほどでもないが、本を読むのは好きらしい。「古典」には憧れるが、夏目漱石をかじったくらいで、結局現代の小説に落ち着く。そうやって、だらだらと本を読んでいるうちに、自分でも何か書いてみたくなった。これが数年前の事である。

 

 当時はまだパソコンなど持っていないから、仕方なく原稿用紙に書いてみる。それも、読んでいた本が「もう少し続きが読みたい」ところで意味ありげな終わり方をしたので不満に思って、勝手に都合の良い終わりをくっつけたのだ。角田光代の『八日目の蝉』だった。あれ以来読んでいないが、それでも強烈なイメージが自分の中に残っている。風呂の水が合わなくてこどもに発疹ができてしまうシーンや、天使のイメージが強い施設のシーンだ。たしか舞台は小豆島だったと思うが、これも少なからず影響しているのだろう。

 

 かつて瀬戸内海沿いに10年ほど住んだことがある。暖かくて、なんとも穏やかな場所だった。食べ物もおいしかったし、海も山も田んぼも綺麗だった。というのは記憶の美化作用かもしれない。人間は改竄する生き物である。なにはともあれ、そうした思い出と物語のイメージが結び付いたのかもしれない。

 

 さて、話が大きく脱線したが、つまりは数年かかって、自分の書いたものをこうして読んでもらいたいという欲求が、ついに抑えきれなくなったのである。拙文は承知のうえだが、読者諸氏の寛大なる心に期待し、寄りかかるつもりで書かせていただきたい。どうかよろしくお願い申し上げる。

 

 だらだら書くのも格好悪いので600字でまとめようとしたら、900字になってしまった。次からはもう少しうまくまとめるつもりなので、今回はご容赦いただきたい。