ニセ夢十夜

形而上メガネは100年先を透視できるか

第一夜

早速、三日坊主どころが一日坊主で終わってしまった。忸怩たる思いがある。

しかも、当初のいわば私的天声人語計画も水泡に帰した。

では何を語るのか。ビジョンもへったくれもないじゃないか。

お叱りは受ける覚悟である。だが、もうしばしお待ちいただきたい。

ようやく書きたいネタが見えてきたところなのだ。

情報化社会

ここ数年の社会は、それまでと大きく様相が変わった。インターネットやPC、スマホは今やインフラ並みの重要性だ。GAFAGoogle, Amazon, Facebook, Apple)は社会の文化と仕組み、我々の思考体系すらも書き換えつつある。SNSが爆発的に普及するとともに、付随する問題もちらほら。落合陽一氏が指摘しているように、現在は産業革命以来の転換期に来ているのかもしれない。

この時代に、一学生たる私になにができようか。実は全くもって分からない。いろいろ本を読んでうんうん唸ってはみるものの、己の無知に打ちのめされるばかりである。

しかし、そう唸ってばかりもいられないので、目標を立ててみた。

  1. 覚悟を決めて、とにかく情報分野の勉強をする
  2. 本業の政治の勉強もする
  3. なんとかして、これらのセレンディピティに期待する

なんとも知性のカケラもない目標だが、これでいいのだ。ここ1週間で動画を見たり、本を読んだり、気づいたことや思ったことは多々あるのだが、それはおいおい書くことにしたい。

半ば決意表明の第一夜であった。

前夜

はじめまして

 思えば、SNSには縁のない生活を送ってきた。Twitterはたまに見るが、つぶやき方はよく分からない。Facebookは、アカウントをつくったきりそのままだ。Instagramは、写真を楽しむということくらい。別にSNSが嫌いというわけでもなければ、時代についていけないと感傷にひたるわけでもない。ただ、きっかけと動機がなかったのである。

 

 では、今回なぜブログに手を出そうと思ったのか。理由は簡単で、なにか書きたい衝動にかられたからである。本の虫というほどでもないが、本を読むのは好きらしい。「古典」には憧れるが、夏目漱石をかじったくらいで、結局現代の小説に落ち着く。そうやって、だらだらと本を読んでいるうちに、自分でも何か書いてみたくなった。これが数年前の事である。

 

 当時はまだパソコンなど持っていないから、仕方なく原稿用紙に書いてみる。それも、読んでいた本が「もう少し続きが読みたい」ところで意味ありげな終わり方をしたので不満に思って、勝手に都合の良い終わりをくっつけたのだ。角田光代の『八日目の蝉』だった。あれ以来読んでいないが、それでも強烈なイメージが自分の中に残っている。風呂の水が合わなくてこどもに発疹ができてしまうシーンや、天使のイメージが強い施設のシーンだ。たしか舞台は小豆島だったと思うが、これも少なからず影響しているのだろう。

 

 かつて瀬戸内海沿いに10年ほど住んだことがある。暖かくて、なんとも穏やかな場所だった。食べ物もおいしかったし、海も山も田んぼも綺麗だった。というのは記憶の美化作用かもしれない。人間は改竄する生き物である。なにはともあれ、そうした思い出と物語のイメージが結び付いたのかもしれない。

 

 さて、話が大きく脱線したが、つまりは数年かかって、自分の書いたものをこうして読んでもらいたいという欲求が、ついに抑えきれなくなったのである。拙文は承知のうえだが、読者諸氏の寛大なる心に期待し、寄りかかるつもりで書かせていただきたい。どうかよろしくお願い申し上げる。

 

 だらだら書くのも格好悪いので600字でまとめようとしたら、900字になってしまった。次からはもう少しうまくまとめるつもりなので、今回はご容赦いただきたい。